かげさわ屋10周年特別お便り
おかげさまで10周年を迎えました。ありがとうございます。
これまでの軌跡をラベルとともに年表のように振り返ってみたいと思います。
ゆっくり味噌のラベルは仕込んだ年の大豆作りなどでの印象に残っていることを妻 奈緒子が毎年あらわしています。
ゆっくり味噌は1年間熟成させて仕上げるので、例えば2017年に仕込んだ味噌は2016年に育てた大豆を使用しています。その為、少々ややこしいのですが、ラベルの年数と出来事の絵に1年間のズレが生じています。
2011年4月1日 かげさわ屋事業届申請
・これまで細々と妻奈緒子が続けてきた味噌作りを本格的に保健所の許可もを取得して事業としてはじめました。
・税務署の方に「屋号も記入してくだい」と言われ 思いついた屋号もありましたが、検索してみると既に使用している企業さんがありました。困った私はふと友人の「久永屋」を思い出し、とりあえず「これからは個の時代だ!」とエイヤっと「かげさわ屋」と書きました。今後も「かげさわ屋」で続ける気がします(^^)
・まだこの頃は家庭用のビニール袋を2重にして味噌を出荷していました。
・東日本大震災の3日後,、2011年3月14日 息子の恵土が生まれる。「気持ちが沈む中、明るいニュースをありがとう」と多くの人から言われた。
2012年
雨の多かった年です。個人的には消防団に入団した年です。初めての出動が熊本豪雨での救助でした。
・写真は初代の味噌加工所です。この後、3つも加工所を新設するとは夢にも思いませんでした。
2013年
この年の大豆は大成功で大豆の株がピカピカに光っていました。種蒔き時期・日射量・雨量がベストマッチングしました。
・減塩みそも作っていました。
・子供が味噌の加工所に入らないように木の柵を張って味噌作りをしていました。
2014年
思い返せば、この年は精力的に新しいことを様々始めた年でした。
・白味噌を作り始めました。
・ひよこ豆味噌を販売し始めたのもこの頃です。
・杉樽での仕込みも始めました。
・お米を初めて作り始めました。
・噴火がこのころから始まり、数年散発的に続きました。
2015年
ハト・シカ・ウサギと色々な動物に大豆が食べられたのが印象に残った年でした。
・噴火も時々発生して、作物の収穫に手間取りました。
・村の球技大会のソフトボールで眼窩底骨折をしたのもこの年でした(笑)
2016年
何といっても熊本地震発生が記憶に残る年。まさか、これまで住んでいたところに住めなくなるとは夢にも思いませんでした。皆さんの温かい支援のおかげで、みなし仮設に入られたり、味噌作りを継続できた年です。普通の日常が素晴らしいと感じらる年でした。
・布団の上にタンスが倒れてきた写真。
・ビニールハウスの中にテントを張ってしばらく避難
・味噌の保管に借りていた軒は崩れたが、中の味噌は大丈夫でした。
・新しく3代目の味噌加工所を作っている写真
2017年
気候の変化が以前よりも大きくなり、大豆栽培にも危機感を感じていましたので、リスク分散に大豆の播く時期と播く場所を分散させはじめた年でした。阿蘇の外輪山の外側の麓の旭志にも大豆を植えた年です。
・みなし仮設で新しくみそ製造業と醤油製造業を取得して再開です。
・たまり醤油を販売し始めたのもこの頃です。
2018年
2018年の夏は雨が殆ど降らずに大変な年でしたが、大豆畑にホースで冠水などあらゆる方法で大豆に水をやった結果、2014年以来の豊作となりました。豊作のときは葉っぱがツヤツヤしています。
・黒千石味噌を作り始めました。黒千石大豆という小さい黒豆を育てて仕込んだ味噌です。
・白味噌のたまり醤油 白たまり醤油をデビューさせました。」
2019年
・熊本地震で家が被災して、みなし仮設に住まわせてもらいながら、新しい家を探してようやく見つかった新居に引っ越した年に作った大豆で仕込みました。
・4代目の味噌加工所を新しい家に作りました。
2020年
2020年に採った大豆で味噌を2020年12月~2021年4月にかけて現在も仕込んでおります。
・2020年の大豆は豊作ではありませんが、まあまあ思ったより採れました。
・沢山の人に農業を助けてもらった年でもありました。
・味噌の仕込みのお手伝いに大学生の花音ちゃんが活躍してくれました。
2021年
2021年産の大豆は今年の6月に播きますので、収穫はまだです。この大豆を味噌として2021年12月~2022年4月に仕込んで、早いもので2022年12月から出荷を予定しております。
今後ともよろしくお願いいたします。